【不登校】子どもの要求に応えない=突き放すこと?選択肢は他にもあるよ

今回のテーマ

子どもの要求に応えるべき?突き放すべき?



私たち日本人、

特に、私のブログにうんうんと感じる方は

「人の要求に応えることが良いことだ」と

「自分を後回しにして応えてきた」

人のいい方が多いです。


『応えてあげるべきか、突き放すべきか』という発言の中には

人の要求に応えない=突き放すこと(悪いこと)

という捉え方が根付いている
ような気がします。




あぁ、確かにそう思ってるかも・・・

と感じた方は、続けて読んでみてくださいね!




「自分はどうしたいのか?」を感じてみること

そこにあなたの答えがあると、

私はよくお伝えしていますが





今日は、また違う角度からお話します。


あなたの中に違う捉え方を

インストールしていただきたいと思います。




本当に愛情から「相手の要求に応えてあげる」ことは素晴らしいことです。

究極、自分がそういう心豊かな状態でいられるように、

心を学ぶことをお伝えしているのですが、、



それには、まず相手ではなく

まず自分を大事にすることが不可欠なのです。


と、話を戻すと

人の要求に応えない=突き放すことのように

人の要求に応えないことは

良くないこと・思いやりに欠けること・正しくないこと

と思っている人は



人の要求を断れないのはもちろんのこと

自分の要求を聞いてもらえないと

“どうせ私の言うことは聞いてもらえない”と自己卑下するだけでなく

相手の人を、嫌な人・正しくない人・思いやりのない人


だと感じます。


相手を悪者に感じてしまうのです。

↑の世界にいると

自分はいつも相手の言うことを聞いて

自分は要求を聞いてもらえる価値もなくて

嫌な人、悪い人・思いやりのない人に囲まれていることになります。



苦しいですよね。


でも、先ほどの捉え方を

人の要求に応えないことがあってもいい。

相手に要求をしてもいい。

要求をしたときに断られることもある。

伝え合うことで理解が深まる


に変えてみたら???




文章にしてみると至極当然のことですね。



この様に生きている人もたくさんいるのです。



人が2人居たら

違う意見が生まれるのは当たり前で

相手を変えることは出来ないけど

自分の意見や気持ちを伝えることはできます。


人の要求に応えないことがあってもいい。(もちろん応えてもいい)

相手に要求をしてもいい。

要求をしたときに断られることもある。

伝え合うことで理解が深まる

のだとしたら




断ることや、自分の意見を言うことが

とっても楽に出来るようになって

断ってきた相手のことも嫌な人と見なくなりますよね?

(もちろん、断られても、その後にさらに要求をしてもいいのです。)




何が違うかと言うと

「ものごとの捉え方が違う」だけなのです。

それなら楽な自由な捉え方に

変えていきたいと思いませんか??